新しいもの
東京オリンピックも目前に迫りつつあることもあり、インバウンド対応というワードをよく目にするようになりました。
世界の人々が「日本の文化」をより一層肌で感じることになります。
様々な国の人々が、日本の文化の良し悪しを見るわけですね。
日本には固有の文化や、考え方などが多くあると思いますが、来日する海外の人の中には、そんな日本の色々な文化に刺激を受けて、自国に何かを持ち帰りビジネスを考える方もいるのではないでしょうか。
その「異国」の「もの」をビジネスと捉えるとき、お国柄や自国の文化など様々な観点から、取り入れ方が違うような気がして、面白いなぁと思います。
それは一体どういうことなのか…
例えばある国「N国」の「新しい技術」を「モバイル技術」として考えてみましょう。
ある国Aの民が、N国で、目新しいモバイル技術と出会い、自国でそのビジネス展開を考えた時、そのAの民は、「この技術をA国で商売にするなら、アレンジしてみよう」というような比較的自由な発想をします。
新しい技術をA国の機器と融合させ、アレンジし、自由な発想で斬新な創作的革新的機器として展開。
A国の国民性や機器をふんだんに取り入れたものだから、A国民もそれを受け入れやすく、普及しやすいことでしょう。
そしてそのアレンジは独創的に派生して全く新しいものを生み出すことにつながるのかもしれません。
そして別の国、B国の民が同じような目的で、自国展開しようと考えた時、B民はなんとなくそれっぽい、似た感じの妥協的なモバイル機器を展開します。
困ったことに、そのB民は「これはN国製の本物です」と、偽って商売を始め、あり得ないほどの安価という武器を手に入れることになります。
C国の民は、その機器技術をそっくりそのまま自国で展開、普及させるのは技術面からもコスト面などからも、難しいと考え、それをそのまま買ってきて売ることにしました。
当然、普及スピードが早く、大きなマーケットシェアを確保することになります。
D国の民は、その機器を自国で取り入れ、ビジネスにつなげたいと考え、まずはその技術や理論などを学び、忠実に再現できるよう時間をかけました。
さらに、その精度を上げ合理化することにより、オリジナルを超えるほどのクォリティでビジネス展開できるようになりました。
新しいものへの反応は、各国、各地域、そして個人個人でも色々あります。
新しいもの、新しいことや技術に触れた時、どう捉え、どう受け入れ、どう使うか。
何がどの時点をもって「良い」のか「悪い」のか難しいことなんだと思います。
Aという国は、自由な発想が生かされ、その新しいもからさらに新しいものへと進化させ、オリジナルのものを生み出し、スタンダード化していけるのかもしれません。
Bという国では、なんとなく似ている程度のクォリティで普及が進み、信頼度の高いものを作り出す技術は発展しづらいのかもしれません。
Cという国では、自国での生産をせず、買ってくるという選択をしているので、いつまでも技術が成長できないために生産することが難しく、仕入れに頼ることになってしまいます。
Dという国は、その生産のノウハウを手に入れ、信頼できる確かなものを流通させられるようになりますが、時間がかかってしまったために、マーケットには出遅れ、すでに飽和状態で、斬新さにもかけることになってしまいます。
国という単位で書いていますが、これは一個人でも同じことが言えるような気がします。
新しいことに目を向け、それを受け入れ、それに対応していく。
そのスピード感、柔軟性など、とても重要な気がします。